東京壱岐雪州会は19176年(大正6年)、長崎県壱岐郡(現在は壱岐市)出身者の関東地区における親睦団体として設立されました。会員相互の交流と故郷壱岐市の発展に資することが大きな趣旨です。以来、2017年で創立100周年の歴史を刻んできました。
まだ電話も十分でなく通信手段も不自由な時代に同郷人の拠り所として「壱岐人会」を設立された先人の郷土愛と強い意志力に感銘を受けるばかりです。創立の中心的役割を果たされたのが壱岐の石田郡長などを歴任し、その後上京して金融業で功を成した三富道臣翁らです。
名称は「雪州会」として発足し長く親しまれてきましたが、昭和50年代に「東京雪州会」、そして2012年に「東京壱岐雪州会」に変更して現在に至ります。
これまで100年間に12人の会長が就任し、初代三富氏の後の2代会長には電力王と称された松永安左エ門翁(終身会長)、3代会長には代議士で普選運動や松尾芭蕉の研究家としても知られた眞鍋儀十翁…らと続きます。
創立100周年にあたる2017年には、10月に記念総会・式典を東京・新宿のホテルで会員のほか壱岐市から約100人、各地区壱岐人会、県下各地域の代表者ら総勢400人以上が集まり盛大に開催。第2世紀に向かって新たな一歩を踏み出すことになりました。
——平成17年度総会「平成18年新年の挨拶」より——
壱岐の島は「古事記」の昔から大八州(おおやしま)の一つに数えられ、「日本書記」では(壱岐の州)または(壱岐の島)となり、いずれも「ゆきのしま」と読ませている。
【和名抄】には【由紀の島】とも書かれ、【万葉集】には【由古の島】姓氏録では【壱伎】と記されている。雪州会の雪は、これら伊岐、由紀,壱伎、壱岐に通じる音字をとったもの。
また壱岐の島の海岸線の白い砂があたかも雪のように見えるところから、昔から壱岐の島を【雪州】と呼んでいたようだ。東京壱岐人の集い「雪州会」 の名は、こうした中から先輩が選ばれたものを受け継いで今日に至っている。
雪州会 の名称は大正六年頃から続いている。東京雪州会 と改称したのは昭和五十七年十一月で、関西地区の壱岐人の集いが【近畿雪州会】となったことと、在京の若い人達の強い要望が改称の理由である。