東京壱岐雪州会は壱岐の島(長崎県壱岐市)出身者の親睦・交流を目的としています。

歴代会長

  • 初代会長三富 道臣翁
  • 2代会長・終身会長
    松永 安左ェ門翁
  • 3代会長眞鍋 儀十翁
  • 4代会長白川 應則氏
  • 5代会長長岡 元氏
  • 6代会長松坂 直美氏
  • 7代会長後藤 圀丸氏
  • 8代会長立石 公博氏
  • 9代会長森谷 正規氏
  • 10代会長山内 賢明氏
  • 11代会長牧山 康敏
  • 12代会長=現職万谷 正氏
  • 初代
  • 2代
  • 3代
  • 4代
  • 5代
  • 6代
  • 7代
  • 8代
  • 9代
  • 10代
  • 11代
  • 12代
雪州会創設の中心

初代会長三富 道臣翁

(1856〜1937=郷ノ浦町渡良出身)

1887年に第5代壱岐石田郡長に就任。96年に郡長職を返上して上京。金融業「三功社」を開業し、実業家として成功。1917年(大正6年)に同志と壱岐出身者の親睦会「雪州会」を創設し初代会長に就任。それを源流として今日の雪州会100周年を迎える。詩人として知られる三富朽葉は愛息。雪州会創立の年に犬吠埼で溺れた友人を助けようとして朽䈎も溺死。

「電力の鬼」―戦後の9電力体制を主導

2代会長松永 安左ェ門翁(終身会長)

(1875〜1971=石田町印通寺出身)

「電力王」と称され戦前戦後を通じ全国を舞台に活躍。昭和25年、戦後の電力再編成問題について安左ェ門翁が提示した再編案がGHQ司令官マッカーサー元帥と吉田茂首相との会談で最終決定され九電力体制が確立。電力の安定供給を通じて日本経済発展の礎を築き政財界に大きな影響を与えた。慶応大学に学び福沢諭吉の薫陶を受ける。

英国の思想家トインビーの「歴史の研究」を翻訳するなど文化面でも活躍。「耳庵」の号で茶人としても有名。絵画・陶器など古美術品の収集でも知られる。大正3年には壱岐電燈を設立し離島で初の電灯をつけた。壱岐市石田町に「松永安左ェ門記念館」がある。

戦後21年に埼玉県柳ケ瀬から小田原に移住し広大な小高い丘に簡素な「老欅荘」を建て、池田勇人首相ら多くの政財界人や文化人らを招いて会談した。

●写真中央が松永翁、右が眞鍋翁(「わが人生は闘争なり」より)

芭蕉の研究でも著名・「雪州会だより」創刊

3代会長眞鍋 儀十翁

(1891〜1982=芦辺町箱崎出身)

戦前戦後に東京から衆院議員に6回当選し、政界の論客で普選運動でも活躍。松尾芭蕉研究者としても知られる。芭蕉に関する多くの資料を1981年に江東区に寄贈し「芭蕉記念館」が設立された。

1973年には今も続く「雪州会だより」を創刊。創刊号で儀十翁は「…古里は良きかなとは文人の詩情のみでは無い。等しく吾等の感傷でなくてはならぬ。そこに思いを致した雪州会同人が、この会員の郷愁を充たさんとして、ここに『雪州会だより』を編輯して…」と記す。題字も儀十翁の筆による1971年から8年間会長の後、名誉会長。

松永翁に師事し東北電力副社長も歴任

4代会長白川 應則氏

(1895〜1998年勝本町鯨伏出身)

松永安左ェ門翁に師事し戦後の九電力体制の発足とともに東北電力の副社長に就任。温厚篤実な人柄である反面、芯の強さはやはり壱岐魂そのものと評される。技術畑出身らしい視点で壱岐の発展策にもいろいろ助言を与えた。1979年から6年間会長。

戦前は海軍で南方に、戦後は建設関係等で活躍

5代会長長岡 元氏

(1906〜1986=郷ノ浦町沼津出身)

日大卒後、海軍主計中将・深水貞吉氏(勝本町出身)の引きで海軍省に入る。戦時中は海軍司政官として南方にて活躍。戦後は建設省、住宅金融公庫、道路公団などの要職を歴任。1986年会長に就任するも健康を害し約1年の短命に終わる。「雪州会だより」第14号では「…これら(歴代)会長に一貫していることは、遠くにいて壱岐を思う『強い郷土愛』でありました。これを受け継ぎ、これからの若い世代に生かしていかなければならない」と記す。

作詞家として著名、多数の名曲を発表

6代会長松坂 直美氏

(1910〜2002=芦辺町深江出身)

作詞家として知られ日本詩人連盟副会長なども歴任。作曲家古賀政男や遠藤実などと組んで活躍。歌謡界での人脈の広さは抜群。松永安ェ門翁の伝記「わが人生は闘争なり 松永安エ門の世界」(香椎産業)を出版し、松永翁の波乱に富んだ人生を描いた。東京壱岐雪州会ではこの本を再出版した教文出版(社長立石公博氏)の協力を得て2004年に壱岐市の中学・高校などに寄贈。壱岐に対する愛着は強く、多数の関連資料・写真を故郷の芦辺小学校に展示する企画が進行中。1987年から5年間会長の後、名誉会長。

会長・幹事長歴20年以上、壱岐のPRに力

7代会長後藤 圀丸氏

(1919〜2009=芦辺町瀬戸浦出身)

3代目の眞鍋会長から6代目の松坂会長まで4代の会長を支えて19年間幹事長を務めた後1994年に会長就任。故郷に対する想いは人一倍強く、壱岐出身者のビジネスにも側面から協力した。更に壱岐出身の小金丸幾久氏(故人)が晩年に力を注いだ「少弐資時公」(13世紀の元寇襲来の際に奮闘した武将)の銅像制作も支援。銅像は壱岐芦辺港に建立されている。終戦時は厳寒のシベリアで3年間の苛烈な抑留生活も体験。5年間会長を務めた後、名誉会長。

独創的なアイデアで通信教育や講演CD実現

8代会長立石 公博氏

(1932~郷ノ浦町志原出身)

上京後、1865年にコンサルティング業を始める。67年に通信教育事業を主業務とする「教文出版」を設立。簿記事務や医療事務関係などの通信販売で全国展開を開始して軌道に乗せる。1999年には国内外の著名な識者を講師とする「講演CDカセット」の制作・販売をスタート。松坂直美氏著による「松永安左ェ門の世界 わが人生は闘争なり」の制作(復刊)にも当たる。1999年から3年間雪州会会長を務める。名誉会長12年を経て現在は特別顧問。

技術評論家として活躍し著書は100冊近く

9代会長森谷 正規氏

(1935~石田町出身)

1960年東京大学工学部卒、日立造船を経て67年に野村総合研究所に入社。野村総研では技術動向の調査分析や技術展望などに取り組む。87年に野村総研を退社して技術評論家として独立。東京大学先端科学技術研究センター客員教授や放送大学教授、LCA大学院大学副学長など歴任。週刊朝日や毎日新聞で20年以上書評を担当。政府関係の各種委員会委員も務めた。雪州会では2002年から4年間会長を務め、06年には雪州会「ふるさと壱岐ツアー」を初めて実現し壱岐市の小中学校長会などとの意見交換も実施。現在名誉会長。

雪州会の重鎮・長崎県人会長など幅広く活躍

10代会長山内 賢明氏

(1932~郷ノ浦町志原出身)

昭和26年の大学在学時代から雪州会の総会に参加し、当時の松永安左ェ門翁らの謦咳に接する。以来60年余り雪州会に携わる重鎮。大学卒業後は大成建設関連の会社等に勤務。1985年に壱岐に帰り玄海酒造社長に就任。関東を含む都市圏にも営業範囲を拡大。同社の「壱岐玄海酒造綱引クラブ」を全国綱引大会に県代表として23年連続出場に導き、雪州会や長崎県人クラブの応援を通じて交流機会の拡大にも貢献。

2010年に長崎県人クラブ理事長、2014年には東京長崎県人会会長にも就任し活躍の幅は広まる。酒の強さと面倒見の良さは他の追随を許さない。副会長、顧問を経て2006年から4年間会長を務め、現在名誉会長。

企業・財界首脳等の取材通じ幅広い人脈

11代会長牧山 康敏氏

(1938~芦辺町箱崎出身)

副幹事長(4年)、幹事長・副会長(8年)を経て2010年に会長就任。幹事長就任以来、現在まで機関誌<雪州会だより>の編集・制作を担当。壱岐の緑化寄付実現や東京雪州会の「東京壱岐雪州会」への名称変更などにも努力。1963年大学卒業と同時に新聞社に入社。主要業界や通産省など主要官庁、国会等取材。移動特派員として豪州、東南アジア、欧米の経済状況や技能五輪(アイルランド)、1986年の東京サミットなど取材。退社後1999年に講演関係の事業に参画し、各界約900人の著名人の講演CDを収録。日本記者クラブ会員で国内外の要人の会見に今も出席。2014年10月から名誉会長。

堅実経営・壱岐への社員旅行も7年連続

12代会長=現職万谷 正氏

(1948年~芦辺町芦辺浦出身)

1971年福岡大学商学部卒後、化学工業薬品メーカー・アイコーに入社。同年、同社と米社との合弁会社に出向。1974年アルミ部門で2大技術革新の1つアルミニウム溶湯処理装置・フラックスフィーダーを開発。トヨタ自動車の全工場で採用。41歳で同社取締役、48歳で社長。平成11年に50歳で同社の全株式を取得し現ファウンテックとして独立。2年後には30%のシェアを70%に拡大。取引先はトヨタ、神戸製鋼等大手企業中心。残業ゼロを徹底する堅実経営。毎年5月に実施する全社員参加の2泊3日の壱岐研修旅行は今年で7回目。雪州会の活性化に向け奮闘中。副幹事長の後、2014年から雪州会会長。